YOSAKOIソーラン [祭]
“土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た”で知られるよさこい節を世に広めたのは、古くは板垣退助の自由民権運動、戦後ではペギー葉山のヒット曲『南国土佐をあとにして』だ。「よさこい」の起原は山内一豊が土佐に入って城を築いたときの掛け声、「夜に来い」が訛ったものなど諸説があって、土佐藩士が活躍した幕末、京や江戸に伝えられたとする説もあるようだ。その代表格の坂本龍馬が好んだのは新内と妻・龍子が奏でる月琴だったという。ついでながら、わしの情人(といち)は浦戸の沖で雨にしょんぼり濡れて鰹釣る、の歌詞は、龍馬の後ろ姿をしのばせる。
一方、“沖のかもめに潮時きけばよ”で知られるそーらん節はニシン漁の作業歌として形が定まり、日本陸軍で神奈川県のダンチョネ節と合流した。本歌どりした『舟歌』を八代亜紀が切々と歌い上げたのは30年前のことだ。それが「ソーラン」になった最初は1983年、稚内市立南中学校のマスゲームが元祖、よさこいが「YOSAKOI」に変質したのは1992年の札幌ソーラン祭からという。竹の子族に代表される路上パフォーマンスが、YOSAKOIソーランの源流の一つでもある。
それがいまや全国に広がっている。8月に訪れた金沢市では、目抜き通りを全面的に交通止めにした市民祭「夢街道」に全国からパフォーマーが集まっていたし、一昨日、京劇を観に行った東京・池袋にも10月10・11日に繰り出すという。揃いの衣装には江戸の粋と伊達を織り交ぜ、花笠を被り手には鳴子、最前列に神聖ローマ軍風の旗手、殿に豪放な大旗の陣立て、踊りはロック風ありジャズ風ありで、三世代で編成するチームも珍しくない。現代の和洋混淆、個性と言いながら実は没個性ではないかと言ってしまえばそれ切りだが、新しい祭の様式美すら帯び始めた。
考えてみれば、民謡・俗歌、戯作・戯画などは、場所と時間を共有する中で、庶民が生み出した。原曲・原意から姿形が変わることに違和感を覚える人がいるかもしれないが、多くのパフォーマーが地域を超えて、時間と場所を共有することで祭を支えている。変化には、途方もないエネルギーが必要で、それを失ったものはいずれ消滅に向かうことになる。だからこそ文化財として保護と保存の対象になる。ではアニメはどうか。国が保護・保存に乗り出すほど活力を失っているのか。YOSAKOIソーランのように野に置けばいいのだ。(2009.9.28)
2009-09-28 00:00
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